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智慧の言葉
魂の再会 1/3 二〇〇〇年四月二七日 ニュージーランド 、オークランド


こんにちは ありがとうございます 神のご加護を 私はとても感動し 光栄に思います 神に感謝致します 貴国のような美しい国 美しい人々を訪ね 知る機会を 与えて下さって 皆様が来てくれた事に 感謝致します

ええ 私は皆が本当に 感動したと思います それにまた ニュージーランドの 兄弟姉妹がずっと 懸命に働き素晴らしい 今晩の特別な式典を 開催してくれたことに 感謝致します ありがとうございます 神が貴国を 国民を加護し 皆さんが夢の中でみる あらゆる願いを 祝福しますように

皆さんは なぜここに いるかご存じでしょう 誰もが 神とは何かを 知りたいのです そして誰もが私達は どこから来たのか

知りたいのです それこそ実際 私達が なぜここに来たかと いう理由です そういうわけで 私達はこの地球に いわゆる惑星この 物質的な星に来ました 同時に私達が 天国や そう呼ぶとしたら 霊的な惑星と 繋がっていてもです しかし私達は この繋がりを 忘れてしまいました 私達の多くは あるいは ほとんどが この物質的な存在しか 認識できないのです 物質生活 私達が 人生と呼ぶものです 実際 私達は単に 人間であるだけでなく 私達は 霊的な存在でもあり 非常に進歩した 存在なのです ここに住んでいるのと 同時に 私達はまた 異なる意識レベルにも 住んでいます 私達は多くの 偉大な事を行います でも私達のほとんどは 認識するのが困難です 私達の祖先は 例えばマオリの人々の 先祖ですが 彼らは 美しい歌を 歌って下さったのを 今ご覧頂いたように 霊的に非常に発展し 高揚していて 魂の歌です 私達の祖先は 霊的な異なるレベルを 知っていたからです 現代 私達の何人かが 知る以上にです 私達はまだこの品性を 再び進歩させられます 本当は進歩ではなく ただ それを 再び思い出すだけです なぜなら 一旦 手に入れたら 失う ことはないからです

時に忘れたものです それでそれを 思い出すために私達は・・・ 皆さんが望むなら 私は幾らか実際の 体験をお伝えします 少し説明してから でも自身で体験すれば 何千もの 論理的な言葉より ずっと良いと思います しかし私はその事を 少し紹介すべきだと 感じます たとえ神は言語で説明 するものではなくても でもちょうど マオリの祖先のように 彼らは神を 霊的なレベルにおいて 知っていました それは私達の 言語を超え 通常の 理解を超えています ですから彼らは 自身を表現するのに 詩 音楽 歌で 表すのでしょう それはとても美しく 非凡で それを聞いた時 魂が感動します それは彼ら自身の 開悟の内面のレベルを 表すものだからです 内面の 開悟の欠如のために または内面の開悟を 私達の真我を 忘れてしまったために 私達はしばしば 自身を美しい方法で 表現したくても できないことが あります そして私達は時々 自身がしたいと思う 振る舞いや 反応ができない こともあります それは私達が 内面の繋がりを忘れて しまったからです 私達は 自分の人生を いわゆる存在が 偉大で素晴らしい 長く 高く 更に複数の顔が もっともっとあり 複数の品性 表現が あることを忘れました ただ自身が知る この 肉体の存在だけだと 思っています 忘れてしまっています 例えば 例えば ここにある全部が 自分だとします 頭からつま先まで ええ 全体ですね

私はただつま先だけの 指だけの 額だけの存在では ありません 全体が私なのです でも私が つま先 指だけでは完全で ない事を思い出したら これは私ではなく 完全ではないのです 同様にただ この肉体の人間で あるだけではないと 思い出すなら 私達は 完全ではないのです 私は今日ここへ 光栄にも神の許可を得 思い出させることを 伝えるために来ました 私達の父母 兄弟姉妹 弟妹に 私達の全存在を 思い出させるために 来ましたので その方法を紹介します 思い出すのは とても簡単で息をするより簡単で 食事をするより 簡単です 呼吸でさえ 時に 困難なこともあります 鼻がつまったりすれば 私達は息ができません 食べることも 消化不良が起これば 食べられません あるいは私達に 十分なお金がなく 食べ物が買えないなら 問題も起きます でも霊的な財産は 常にそこにあります 常に持っています ただ私達は 外側を見ることや 自らの肉体を 覚えていることや 世俗の仕事の面倒を 見るのに忙しすぎます この世界は全く本当に 肉体的で物質的な面に 私達を集中させて いるのです 私達が自身の存在を 99%覚えてることは 困難です

それはより高く偉大で ずっとパワフルで ずっと奇跡的で ずっと素晴らしく 更に全てであり 神聖で 神性で もっと美しく幸せで もっと恩恵があり もっと至福で 全てが 神のようでありそれが 自分である事をです あらゆる師が ここにやって来て 私達にこう言います 私達は 神の神殿である 神はここに宿る ここで見るものは 全て神で 少なくとも 神の化身です 個々により異なります しかし私達は 神の品性を 自身の神性を 忘れてしまっています 私達はただこの小さな 自身の人間の部分を 覚えているに すぎないのです 例えば私が この指輪が大好きで この指輪を見続け 私はこの指を 常に覚えていて 他の自分を全て 忘れてしまいます それでは いけません そういう訳で私達は 神が分からないのです それは私達が 見るべき場所を忘れて しまったからです それだけです それで私は頻繁に 人々に「開悟は即座に」 と言うのです 皆さんは既に そこにいるからです 仮に 私がここに座り 今 指を見ていたら 私はどれほどの時間で 自身を知るでしょう ここを見なければ どれほどの時間を 要するでしょうか 瞬時ですね それすらかかりません

私がここを見ない限り 私は再び思い出します 「ああ これが私だ この全部が自分だ」 ええ それは簡単です ですから誰も皆さんの 教師ではないのです あなたの教師に なるために来たのでは ありません 皆さんは 既に神だからです 私も忘れていました 三歳 四歳の頃から 私達は 忘れ始めます

本当に自身である 偉大な存在を覚えて いようとしないと  私達は忘れます それで 忘れるのは  非常に簡単なのですが また思い出すのも 簡単です 私は皆に良い知らせを 伝えるために ここに来ています 私が思い出したこと 自身を思い出した事を それでいつでも好きな 時に思い出せます 忘却の状態に 留まりたいなら これも構いません それもいいです 皆さんは神聖であり 神であるからです ショックを与えたなら すみません それは 皆さんの本当の姿です 私を信じないなら 聖書を見返して下さい そして  仏典にもあります 「汝は仏陀であり 仏性は 汝の内面にある」 聖書では「神はこの 寺院に宿る」とあり 誰がそこにいますか 神以外の誰でしょうか 私達がただ寺院であり 神がそこに住んでいる 唯一の存在なら 私達は神でなくて  誰でしょうか いいでしょう 思い出さなくても 良いです でも神です ですから私達が 何をするか選ぼうとも すべての神の中の神  即ち自分を尊びます これらすべての存在の 父である私達は 望む方法が何であれ 私達の神性を生き 表現しようとする 私たちの願望と 選択を尊びます それでイエスは人を 裁くなかれと言った のです 私達はその 人が歩むと選んだ道が 何か知らないからです 人は異なった方法で 神を知るために 自分のしたいことを します

外観上 悪人である 事を選ぶかもしれず または外観上 卑しい人であることを 選ぶかもしれません

または外観上 非常に いわゆる背徳者で あることをも 選ぶかしれませんが それは神を知る その人のやり方です 邪悪なものである事を 選ぶことによって ある日 これが 自分でないと知ります 戻って  すべてを再び 学ばねばなりません なぜなら 私達がいつも 天国に留まり いつも神であれば 自分が神であると 認めないでしょう それで自身を下げる 必要があるのです 例えば この物質界へ降りれば もう一度 自分の偉大さを 認めることができます それは私達の選択で ここに来た理由です それで 私達の疑問 なぜ私達がここに いるかについての 答えは神を知りたいと 思うからです それで 時間が なくなると感じる時 それは私達が再び 自身を思い出すことを 選ぶ時間です それは私達が  霊性の友 霊性のグループ または いわゆる 霊性の師を探し出す 時です それで素早く 思い出せるのです

私達は思い出す方法や どこを探すかを  忘れているので 既に自身を 思い出した友が 私達を助けることが できるかもしれません すると私達は 自分が最高の存在 神以外の何者でも  ないと認めます 私達はこの身体の中に 住み 宿っている 最高の存在を 認めるようになります しかし実際に 神は 身体に宿っている のではなく 神は 私達の体を収納します しかしまた一方  霊的な用語は 決して それほど正確な 科学ではないので  教師が神について どれほど話しても 霊性の友が 私達に内在する 神聖な存在をどれほど 雄弁に表現しても 私達は聞くだけで 理解できません それで 霊性の友 教師 または案内人 また友人はただ理論的 だけでなく実際的に 示さねばなりません 例えば イエスが 地球に降臨した時 彼は弟子たちを両方の 方法で教えました 理論的な方法と 実際的な方法です ですから後に 彼の直近の弟子たちも 奇跡を行えて 天国が見られ 神 創造者の声 言葉を聞くことが できたのです また天国の光を 見ることができ 天に昇って 天使や父なる神を 見ることもできました 父なる神はモーセに 話した父のように 彼らに話しました そして 天使も 彼らに話し掛けました 同様に 私達はイエスの弟子と 同じくらい偉大なので それができました 私達も偉大です 私達とイエスの弟子は 等しく 同じです イエスが私たちは皆 神の子供であると 言ったからです しかし私達は 忘れたので 一人 二人の友人が 時々私達を 思い出させるために 来なければなりません でも私達に準備が できている時だけです 準備ができてないなら 誰も私達のために 多くの事はできません

最後の数日に 多くの偽キリストが 現れて(またですか) 不思議なやり方で導き 選ばれた人さえ 惑わそうと沢山の印と 奇跡を示します 印心なしで あなたが本物か偽者か どうしたら 分るのですか あなたには分りません 私が本物か偽者か あなたには分りません あなた次第です ありがとうございます どう致しまして ちょっと待って もちろん それでも 分かるいくつかの 些細なことがあります 例えばですが 私ではなく あなたがマスターに 会えば すぐに 何かを感じます いい? 感じないかも どちらにしても あなたはその人に 何か良いものを 感じるか 感じません 私達にこの直感があり 時には 道で見知らぬ 人に会って思います 「彼女は良い感じを 私に与える 彼女は 素敵だ 善良な人に 違いない」 また ある人を 最初に見て なんとなく・・・ 少し怖くて その人と話したく ないと感じます こんな直感があります

または私達は家に帰り そして神に祈ります 「誰が善良か教えて ください」そうですね そして 自分の心に従います 誰も教えてくれません 外側からだけ 伝えられ 内面ではできません より高い霊的な レベルにいるなら 鏡のように私を 見ることができます しかし普通の人から 人間の水準では 何も 見ることはできません あなたに私が良いか 悪いかを証明するため ここにいるのではなく 私は あなたが偉大で 優れていると伝える ためにここにいて そして 私の指示に従えば あなたは感じ あなたは見て あなたは知るでしょう あなたが偉大で 優れていることをあなたは自分を 偉大と感じ 神を 知っていると感じます そして もし そう感じなければ いつでも去れます 私はお金を 請求しません 私はあなたの家まで ついていきません 全く電話もしません 私は明日いなくなり 再び私を捕まえるのは 永遠に無理でしょう だから私が良いか 悪いかは心配しないで あなたの直感に従い 偉大なことを忘れず 学び 知って下さい それが 私がここにいる理由で 私を偉大だと思うから ではありませんよ それは 別の問題です 私はあなたが偉大だと 示すためここにいます そしてあなたが自分の 偉大さを知りたければ ただ私の指示に 従ってください 私の後に 従うのではないですよ よろしいですか

マスター私達の子供も 菜食であるべきですか よろしくお願いします 彼らが望むのなら 彼らもまた魂を持ち そして神なのです 彼らがそれを望めば それは彼らが 大丈夫ということです 子供や大人 または だれをも  望んでない場合 強制はできません 私達は論理的合理的に 話せるだけです そしてそうしたいなら 彼らはできます 菜食の子供達は とても健康なので 彼らは そうすべきです

彼女を見てください とても美しいです 彼女は映画スターの ようで 菜食者です 違いますか 美しくないですか 私達の修行仲間は 妊娠したとき 赤ちゃんは 母の胎内にいる時から 既に菜食なのです そして彼らが生まれて 来たとき 近くの 他の赤ちゃんと比べて 最も美しい 赤ちゃんです ばら色で 健康に生まれます 他の子は  時に青白く または紫色で 生まれてきますね ええ 本当です 新生児を 見に行って 時々 彼らは青白く 紫でとても黒いのです でも私達の子は いつもピンク色で健康 そして何より 一番 大きい声で泣きます 毎日十分目覚めている 時間がないとき 私は 瞑想を続けるために 何をしたらいいですか 起きられないのですか (はい)私もです 誰もベッドで快適な時 起きたくないですが やらねばなりません

あなたは働くために 起きねばならないなら そうすべきです 毎月2千ドルのために あなたは 毎朝五時に起きますね そうでしょう 神のためには 起きないのです 私は何をすればいいか 自分の優先的 選択を決めて下さい いつもより少しだけ 早く起きます それで それに慣れていきます 例えば三時に 起きるのは早すぎます 三時には 起きないで下さい

通常五時に起きてから 仕事に行くなら 初日は四時四十分に 四時五十分  四時五五分にでも 起きましょう 翌日あるいは翌週には 四時五十分に起きます 自分をその考えに 慣らし 気前よく 自分に褒美を与えます 例えば 「今日早く起きたら ダブルベーグルを ご馳走するよ」と あるいは「コーヒーを もう一杯」とか 頭脳が好きなものなら 何でもご褒美として あげます 自分にご褒美を与え また自分も愛すべきで それに向かい合います 私達には一つの体しか ありません 時には 非常に疲れています この「機械」を 維持させるため 一日八時間 十時間も 働かねばなりません そして時には 他のことの世話も せねばなりません 例えば家族 妻  子供 両親 友達 隣人 親戚など この肉体は本当に こき使われています ですから  朝 瞑想のために 起きられなくても 自分を許して下さい 自分に厳し過ぎない ようにして 徐々に訓練しましょう テレビを見る時間を短くし 早く眠れば 朝起きやすくなります あるいは 以前 退屈な時に暇つぶしに 沢山やり過ぎたことの その時間を 神を知るために 使いましょう 管理の問題です 私もとても忙しいです 信じられないほどに 私にとっても 朝起きるのは 時には とても難しいことです でも 目覚まし時計を かけねばなりません 時にはそうです 古代インドに 一人の聖人がいました

夜もずっと起きてます

でも横にならず座って 寝ているだけなので 何も変わりません

気にせず 最善を 尽くせば結構です これが物を言います そのインドの聖人 彼はどうしたと 思いますか 彼は私みたいな ロングヘアを 天井に固定しました そうです 冗談ではありません 最後に彼は マスターになりました 非常に努力した為です 髪の毛を 天井に固定し 頭が垂れると 「おお 分った」と そうです あなたも髪を伸ばし それを真似すべきだと 言ってはいませんが 自分なりのやり方を 見付けるべきです 例えば  早く起きるとか 私は 初めの頃は  氷水をそばに 置いていました

容器に氷水を入れて 目覚まし時計が鳴ると 氷水を取って 顔にかけます すると「ああブルブル」 

氷水は服などに 滲み込み ベッドから 逃げ出さねば なりません こうはしないように 自分なりの方法を 見付けてください 何かやろうと決めたら 絶対できます 信じなさい 出来ます あなたは神なので 神には出来ないことは ありません これを覚えてて下さい 神はあなたの内面に います 神以外の 何者もいません 自分の頭脳に 聞かないでください ただのコンピュータで 頭脳は私達に言います 「寝なさい あなたの ためになるから」と でも それは 神の声ではありません 神はその背後にいます 観音菩薩に会った ことがありますか はい あります できない訳はないです 会いたいなら過去の 全ての聖人に会えます でも かなり努力 すべきです 髪の毛を 天井に固定したりね なぜ多くのインドの ヨギが長髪なのか 分かったでしょう

私達は霊的な存在で 人間の経験を 体験しに来ています 私達は完璧に 人生を表現しています 私達は既に神です 神が全てで 二元性がないなら 私達はどんなであれ 何をしたとしても 神の表現です 何もせず 自然に任せ 報酬を求めない 必要がありますか

それは構いません それでもいいですよ 前も言ったように 自分がなりたいように 選んでいるわけだから でも 神は多くの 面を持っています 神はすべての存在の 総計額ですね 自分が神だと言いたい なら もちろん 私達は既に神ですが それは確かですが では指の喩えの話に 戻りましょう 「私は神だから  何もする必要ない」と 言いたいなら それでいいです ただ 私達が外に出て 盗みをしたり 何か不当なことをして 他の衆生を傷つけたり したとします どうせ どんな表現でも 神だからと言って 良い行いをしないで 私達の他の神聖な面を 表現することで 自分を表さないで ただ一点に集中し 物質的なことだけを するとしましょう このような場合 私達は神とはいえ 完全な全特質を 持ってはいなくて 自分を 完全に表すことが できません それが唯一の違いです いったん神の全てを 認識すると まったく異なります この指だけを 見るのではなく 全体を知ります 違っています ただここに座って 指だけを見るなら 違うように見ます

「まあ 素敵な指」 しかし  全身を認識したら 立ち上がって 歩くことができます 歌い 人を抱き締め 愛で人を迎えられます 詩を書き 音楽を演奏し 泳ぐこともできます 健在な人のように あれこれやれます 分かりますか しかし 指一本だけを じっと見るなら 体がここにあっても 役に立ちません 意味が分かりますか それは違います 完全な神を知ることは 「全ては神の意志」と 言うこととは 異なります もちろん あなたは 既に聖人なので 好きなように 選んでください 私はただあなたの 質問に答えています
悟りを開くまでに この世に何回 生まれて来なければ ならないのでしょうか この肉体を離れると 私達はどこへ 行くのでしょうか 自分が選んだ数だけ 何回も戻って来ます 例えば ある人が 他界しても  家族が泣いたり  愛していたり とても 必要としていたり すると 彼らは たちまちこの肉体に 戻って来ます それが「生まれ変わり」 復活ということです また時には 既に天国に 行ったのですが 楽しみや 自己成長のために 再度人間として 生まれ変わります そして時には 愛する人が 私達に呼び掛けて 一緒にいることを 望んでいるので この世に戻って 来ることを 選んだのです そして  この世にいた時  神を認識してなければ 時々 この世に戻って来て より高次の神の存在を 認識しようとします この肉体に 縛られていなければ 私達はいろんな所に 行けます 私達はより自由です 自由自在です 鳥のように 一瞬のうちにどこでも 行かれるのです

例えば 私が死んで  ドイツへ行きたいなら 飛行機はいりません 思うだけで すぐにそこにいます ほんの一秒 一瞬です  体がないことによる 自由です

しかしそうであっても 生きているうちに 高次に考えるような 高次の真我を思い出す 自己訓練を していなければ 死んでこの肉体を 離れた時 私達はただ 低い意識レベルに 留まり  神性の高次の面を 認識できません それでそこに留まり やがて退屈して この肉体に再び戻って 来るかもしれません あるいは運が良ければ 霊性の友に出会って 少しずつ進歩して 行きます あるいはこの肉体に 生まれ変り 先生を 見つけて正しく学び 「ビューン」と 去っていきます ですから この世を離れて どこへ行くかは この人生での 選択次第なのです 瞑想中の 霊的な体験と 自分の想像による 幻想とは どんな違いが ありますか

自分が幻想していると 思っているのでしょう 幻想は空想ですが 体験とは違います あなたが ただ何かを空想したり 夜に夢を 見るだけなら 体験とは違います しかし霊的な体験は 本物です 今 私達が 本物なのと同じです 例えば 霊的な体験の間 私がここに座るとして そうすると 天国に行くことができ イエスや古今の 聖人を見ることができ 彼らと話すことも できます 何らかを学ぶ目的で 天国や宇宙の 異なる高次元へ 行くことができます それはちょうど 飛行機であなたの国に 行くようなもので それほど本物です それで私達の存在は 日々良くなってきます 霊的な知識を用いて 私達の生活や 私たちが愛する人の 生活を改善すると共に この地球全体の意識が 引き上げられるように 助けられます それが霊的な体験です それが霊的な体験です というのも私達は 変化するからです 私達は神としての 自分自身を知ります 本当の真我を全て知り 少なくとも高次の 真我の一部に気付き 私達は力強く 幸せになります 観音法門の 印心を受けた後 その人が 毎日二時間半の 瞑想をすることが 出来なければ 何が起こりますか 一日八時間でなく 二時間しか 働かなければ 何が起こりますか

給料が減りますね

パートタイムの仕事も フルタイムの仕事も あります パートタイムなら 収入が少なくなります それだけです 二時間半というのは この位の時間が 必要だという提案です 二時間半できれば あなたにとって良く 出来なければ 可能な限り ベストを尽くすのです 瞑想をすればするほど ますます良くなります 警察のように そこに 立ってあれやこれや すべきだというのでは ありません 違います ただ皆さんを助け 何が良いか伝えます

でも できるだけ 従ってください

なぜなら瞑想すれば するほど気分が良く 気分が 良くなればなるほど さらに瞑想するよう 勇気づけられ 霊性の道に 安定して留まるのです 瞑想があまりにも 少ないと時には福報が 非常に少なくなり 私達は がっかりして 挫折感を感じる それだけです ある人が観音法門を 修行したいと 決心して 家族や その他の人々がそれを 受け入れなければ この問題を どう克服したら よいでしょうか

それはあり得ません あなたはただ より良くなり 家族は 更に受け入れ愛深くて ほとんどの修行仲間は 印心後 家庭が より良くなります

修行仲間自身もまた 良くなるからです たぶん 彼らの内の 幾らかは 最初は・・ なぜなら家族は彼らを 愛していて 彼らが 悪い人々に従ったり 悪い事をしたり するのではないかと 心配しているからです でも後で あなた方がこんなにも 愛に満ち 寛容で 慈悲深く 自分自身を 進歩させ それを 示すので 家族は あなた方をより一層 歓迎するでしょう 私達が神なら この人物 つまりいわゆる神 地上に降り立ち 皆が話題にしている この人は誰でしょうか 神としての人など おりません すべてが神なのです 私達は全体の中の 一部であり 一部でありながら 全体を形作ります だから神は創造主です いいですか 神は自身を沢山の物にすることができます

分かりますか 花が良い香りなら それを嗅ぎますね バラを嗅いでないのに その香りを私に 尋ねるような質問を 続けられなくなります まずあなたにバラの 嗅ぎ方を示しますから 家で試すのですよ いいですね それで神を知ります またはあなたがもっと 広く深く知りたいなら 印心を受けてください 神は自身が体験する ためにあり 私が描写 するためではないです 描写は不可能ですから 二人の人の間の 愛を述べることなど できないのです あなたは恋人を愛し 夫や妻を愛しますが 愛が何かは 説明できません でもそこにあります 愛の説明は とても難しくて 人間同士の 単なる肉体的な愛でも 説明は困難ですから どうして神の愛を 説明できるでしょうか 人間の言葉は 神の基準には 達していませんが 神を知れば皆さんは 神を体験できるので 愛を感じ 自分自身を感じ 智慧を感じ 安心を感じ どこででも家にいる ように感じるのです 私が言える全てです 私達が眉間にある 智慧眼に 集中する時 目もそこに 集中するのですか いいえ 違います 身体は全て忘れます 忘れ去るのです 考えるのはただここに 集中することだけです 目や身体の 他の部位に 注意を 向けないで下さい 時々 身体は 小さく揺れますし 暑さや寒さを感じ  時には素晴しい気分に
なります それは例えば その日に食べた物や 奥さんにどれだけ腹を 立てたかによります 彼らが質問する理由は 彼らが集中する時 目は中央を見ると 言ったからです いえ 目は見ません

死んだ人を見たことが ありますか はい その人の眼は 上を向いていて 白目しか見えません 死んだ時はそうです

私達は霊修行をする 最中にそう死にます だから聖人は言います 「私は毎日死ぬ」 「肉体を捨てれば 魂のことが 分かるようになる」 「死に方を学べば 生き始められる」と サマディーに入った時 私達の目は 上に向きますが 気づきもしません 行ってしまっています つまりより高い境界に 行って楽しんでいます しかし肉体は ちょうど「死んで」 それで死んだ人の ように反応するのです 戻ってきたら 「車」を再び取り出してドライブします つまりこの「車」です マスター どうして 朝 瞑想するのが 大切なのですか

いつでも瞑想できます ただ朝 ほとんどの人は 一晩休んでいて そして 朝は まだ静かだからです

車 騒音 子どももおらず 電話もなりません

朝やらなければ ならないという わけではありません 私はいつでもします バスの中 車の中 私達の団体メンバーは どこででもします 運転する時以外はね お願いしますよ 私は時々 上のマスター達の 導きと存在を感じます 私は本当に遠くから 人間を助けられますか ええ もちろん 私達は一体ですから あなたが開悟したら 彼らは影響されます 以前 想像できますか 大昔 つまり 黄金時代の後 地球は全部破壊され 生き残った人は そう多くなかったです その時  人類の状態を 創造できますか 皆 暗闇に 屈服したような感じで 皆が互いに 影響し合いました お互いに影響するから この道を 歩んできたのです 今 私達は何年も 修行を続けてきたから 私達の地球は より良くなったのです そう感じませんか 私達は進歩したと 感じませんか 感じますかどうですか そうですか? そう! つまり 観音法門を修行したり 天国を経験したり とかではなく そうしなくても 今 私達の地球の 違うエネルギーを 感じられます より幸せで より開放的で とてもリラックスして 仏語で「レジェー」で リラックスしています 人類は 以前より 二、三十年前から とても違っています 私達の技術 科学 私達の技術 科学 すべてがとても速く 花を咲かせています 最近の発見は ほんとうに驚くべき ものです 想像できますか Eメールなどや インターネット わあ 信じられません 彼らが発展させた 皆さんが知らない事が ほかにも沢山あります 私達は 敵を 愛すべきですか 彼に それ以外に 何をすべきですか 現実問題です 彼を殺したら 奥さん 娘や息子は あなたを殺すでしょう 延々と続きます ですから 敵を 愛した方がいいのです 彼を「殺す」よりええ 敵を愛せば 友達になり 敵が消えます 永遠にです 彼の家族から 多くの友達ができます 彼の奥さん 子ども 彼の親戚 彼の友達まで 一人の友達を作ったら 沢山の友達ができます 一人の敵を作ったら 沢山の敵ができます 敵を憎んだら 仕事を失います 印心後 戒律を破ったら どうなりますか

こう聞く様なものです 「妻と結婚した後 不倫したら どうなりますか」 どう答えるべきですか 心を決めて下さいね あなたに強制する人は 一人もいません あなただけです  自身で あなたと 神にも約束して下さい こう言います「ええ あなたを最優先します あなたを知るために 何でもやります 私は生き残るために ばかばかしいものは いりません それらなしで生きます 隣人を殺さないで 生きられます 嘘をつかないで 生きられます 麻薬とお酒なしで 生きられます 私は強いのです これらの代用品や 酩酊を必要としません 神に陶酔することが できます そばを通る全ての 男女とセックスする 必要なく 私は生きられます あなたの心が決めます あなたが現したい 存在として 自分を現して下さい あなたは 自分を他の人に 現したい人であれば 「そうそう 私は うそをつく人です」 「私はいつも酔って 麻薬をやって いる人です」などなど 「私は隣人の妻を 望む人です」 「私は殺すことが 好きな人です 人々を 殺害する人です」 それがご自分を 現したい方法であれば どうぞやりなさい あなたの選んだ方です 悟った存在として 賢い人 幸せな人として 助けになる 同情心がある 愛ある 正直な人として ご自分を現したければ その選択が あります  二つの選択肢があり いずれもあなたの選択 それは私の戒律でなく 生き方です 世界 神 そして ご自分に対し あなた自身を 現すという選択肢です あなたが鏡を見るとき どのような人を 見たいですか 戒律はありません 戒律は必要としません どんな人になりたいか 自分が知っていますね

誰もが仏陀であるなら なぜ皆は惨めで 幸せでないと感じるか 彼らは 惨めな仏陀だからです 彼らは単なる惨めな 部分だけ知っていて 他の楽しい部分を 知らないためです それで私は 悟って 下さいと言うのです そしてあなたは 楽しい仏陀になります 私は 人々が ビーガンやベジに なりたがる理由や 健康に有利である等と 知っていますが 知っていますが 瞑想と悟りは 飲食習慣を問わずに 一般大衆に どんな形式の 必要がある個人に 提供すべきであると 信じますが それについて ご教示下さい 素敵です 素敵です 私達は豚肉 牛肉を 食べに行き そして 動物園仏陀や 何かになります 私達は全ての動物を ここに収容し 自分を動物園にします それは素敵です それでいいでしょう? それでもあなたは 悟っていながら 自分を動物園に することができます しかし 動物の エネルギーは修行者に 相応しくありません より高く昇りたい場合 より高く昇れば 運ばなければならない 荷物は少なくなります 動物のエネルギーは 非常に重いのです 彼らも生を貪って 死を恐れるものです もちろん  動物も霊的な存在です あなたが 本当にやむを得ず 食物を必要とするなら 彼らに話せば 彼らは分かります あなたのために自身の 生命を放棄します どんな動物でもです でも私達の大部分は 慈悲なしで  理由なしで殺します 私達はただ 太るために食べます 健康になるためでも ありません ごめんなさい そうです そして 多くのお金を費やして ダイエットしに クラブに行って上下に 跳躍します 多くの お金と時間を費やして これらの毒物を 体外に排出します それから病院に行き 注射 手術 電撃治療 などを受けます 単に 食べるべきでない物を 食べ過ぎるからです それに万物は一体で 誰かを殺すのは自分の 指を切るようなもので それはただ 私達が今盲目で それが見えず 感じないからです

指が麻痺してるように 神経を感じません しかし 誰であれ 植物などであっても それらを傷付ければ 自らを傷付けるのです 菜食するのは生き残る ためにできることの 最低限です だから 私達は野菜を食べます

実は 野菜には 恐れが少ないのです 野菜の90%は水です 一本の茎を切れば もう三本 四本 五本と 生えてきます それで 植物がもっと 大きく成長するように 時々 その枝を 切る必要があるのです それで植物にたよって 生き残れば 私達は 自身の霊性を発展する ことができるのは 一層論理にかなった ものですが すべての植物の許可が 必要です 植物又は木を切るとき 先に彼らに話します 私達はそうすべきです 「すみません 私達はあなたが必要で あなたの許可があれば 私達は感謝します」 野菜でも このように 食べるわけです この命から取る 一切のものに 感謝すべきです なぜなら私達は それらを作らず ただ取るからです しかし この植物に 加護を与えるため 瞑想する必要があり すると この植物は もう一度茂ります

瞑想は盗みを働く人や 麻薬を常用する人に 効果がありますか 盗みですか 飢えていれば 許されるでしょう 麻薬は 空腹を満たすために 常用する 必要性はありません 必要性がないのです イエスが飢えてパンを 盗んだのは罪でないと 言ったのと同じです しかし 麻薬は 必需品ではないのです しかも麻薬は 体と頭脳を害します また親戚 家族 友人の間の 幸せな関係を 破壊します ですから遠ざけた方が いいと思います 今では 麻薬中毒を 治すことは容易です ただ匿名で麻薬または アルコール中毒 治療機関に登録すれば 助けてもらえます 自分を浄化してこそ 再び健全になれます ニュージーランドに ようこそ 強い恐怖感を 感じるのは どうしてですか 人生が私達に教えたい ことは何ですか それは場合によります 怖い状況に おかれた時 恐怖感を 覚えるのは当然です しかし 恐怖感に 圧倒されたり 立ちすくんだり どう反応したらいいか 分らないのはだめです 恐怖感や愛は 自然な反応です それを抑える必要は ありません それを 分かって適切に 処理せねばなりません 私に恐れがないと皆は 思ってますがあります ここに来ることが 不安で 何を話したら いいか分りません 私が知っている事を 皆さんに分かって もらえるか 心配でした 本当に不安でした 今日私は早めについて 喫茶店にお茶を 飲みに行きました 昨日から 何も 食べていないからです

沢山の人が そこに座って お茶を飲みながら いろんな事を 話していました この人達に 神について どう話したらいいかと 考えました 彼らは本当に神を 気にしているかしら 彼らは今の物質的な 生活に満足してるので 誰に何を話したら いいかと悩みました

しかしやはり来ました 分かりますか 私にも不安があります しかし克服するのです ないのではありません 恐怖感があっても 克服するのです 事態が重大な場合は 考える必要があります 「さて どうしたら 良くなるだろうか」と 恐い人であれば 愛でその人の恐怖感を 和らげるのです 時には私達に対し 不親切な人が 私達に 恐く感じさせるのは その人自身 安心感がないからです ですから 状況によります とにかく たとえ恐怖を感じても 私達は落ち着いて 「よし 恐いけど どうしたら この恐怖から 脱出できるのだろう」 と考えねばなりません 自分をコントロールし 恐怖感を 克服せねばなりません 自分をコントロール するとは 状況に 対応することです すると安心でき 恐怖感は消えます 私達は恐怖感を抑える ことはできません それに対処し 適切に 処理せねばなりません 神が内面にいると したら 私は神です すると 私が 何か危険な事や 愚かな事をしたい場合 神が私に悪い事を するよう操っていると いう意味ですか そうすべきですか いいえ 私達の内面には 神がありますが 頭脳を通して機能し 時に頭脳が悪いのです コンピュータが 壊れたため 悪い事をするのです 従ってそれが悪い事と 思えば それは内面の 神の声で 止めるべき だという意味です 悪いと分っているなら 悪い事はよくないので 止めるべきです いいですか 時には あなたは運転ができて 最上級の運転免許を 持っていて 完璧に運転できますが しかし時々 どうもありがとう 時には 車が損傷したり エンジンが故障したり パンクしたりします

これらを自分のせいに することはできません 運転手のせいではなく 車の問題です 順調に走れば 全てが つまり運転手も車も 良いということです タイヤがパンクしたり エンジンが 故障するのは 車がよくないのです 運転手は大丈夫です ですから 運転手と車 神と頭脳を 区別することです すると問題ありません 悪いことは止めて 良いことは すぐやってください とても簡単です 聖なる愛と 人間の愛には 共通点がありますか 人間の愛は 聖なる愛の一部です ごく一部です 二人が無条件で 相手を愛するとしたら それは 聖なる愛の表れです 私達は無数の生涯で 多くの深い カルマ(報い)を造ったのですか 造ったのですか 輪廻は存在しますか 存在します 私達は 実際 カルマ(報い)を集めているわけでは ありません いろんな 事を体験するだけです これをやったり あれをやったりする ことを選択したのです いったん経験すると もう要りません  あとは神に向かい 真我を思い起こします この時が 開悟する時です 私達は皆 神の創造物として 平等であるはずですが なぜ一部の人は 他の人間に比べて もっと苦しみ ある人は悪を 働きながら物質的に 豊かなのですか それは 選択した道が それぞれ違うからです

物質的に富と快適さを 得たことは 決して その人が祝福された いい人であるという わけではありません その内 死んだら 私達は全部を置いて 離れるからです 私達が霊性の知識の 富を得ると それは永遠のものです ですから 物質的に豊かで 霊性の面では 何も持っていない人を 羨ましがらないように すぐなくなるからです しかし あなたは 物質的には 豊かではないですが 心は豊かです 博愛と 慈悲 奥深い知識と 智慧があります 仏陀のように イエスのようにです 彼らは裸足で歩き お金もなく 車もありません 何もありませんでした それでも人々は彼らの 足元にひれ伏して 彼らを崇拝しました また彼らが言うことは 何でも耳を傾け 二、三千年経っても いまだに 崇拝しています どっちが豊かですか 外の億万長者ですか イエスと仏陀ですか 答えはすでに分かって いると思います 自分と他人を 比べる必要は ありません 自分の価値は内面に あると知るべきです これが大事です

地獄に対するあなたの 定義と知っている事を 教えて頂けますか 地獄はあまり 知りたくありません そうではなく 地獄は苦しむ時や 誰かを苦しめた時の 状況です

地獄は場所ではないの ですがある人は確かに そこに行き苦しみます 生前の 間違った概念を 洗い落とすためです 私達は真我であり 神であることを 分かっているため 生前に 何かひどい事をした時 時には 浄化する場所 病院のような所に行き 悪い細胞を 全部切り取ります すると 再び健康になります 地獄は 苦しみの場所で この物質的地球にも 存在します あなたが 精神的に 肉体的に 強い苦しみを受ける時 または 他の誰かや 動物に激しい苦痛を 与えた場合 その人に とっては地獄です 私が知っている限り 観音法門は 瞑想を通してする 修行法だと思います 瞑想でどうやって 世の中を 平和で 調和の取れた 理想的な世界に 変えられるのですか ええ いい質問です 瞑想は 世界を変えません あなたを変えます 皆が自分自身を 変えるとしたら 世界は平和になります 私達が戦争を 起こすのは私達が 平和でないからです というのは 自分のそばにいる人も 神であることを 知らないからであり 私達が神であることを 知らないからであり 私達が殺した相手や 銃で撃ち拷問する 相手も神であることを 知らないからです だから世界は 平和でないのです いったん瞑想すると 瞑想せねばならない というのではなく 内面に入るべきです 私はあなたの内面を あなたに見せます 私があなたの真我と 再連結することが 瞑想です 彫像のように座って いる事ではありません 必ず神と実際に 再連結してこそ 再連結してこそ 真の瞑想です いったん連結できたら あなたの存在は 永遠に変わります あなたはこの世界で 歩いている神の 平和の手本になります たとえ何もしなくても 人はあなたを見た時 平和を感じます 彼らはあなたの 振る舞いを習いたいと 思うのです

あなたに近づきたがり あなたの助言を 聞きたがり あなたを 手本にしたがります これが 世界が 平和になる道です いいですか とても論理的で何も 神秘的ではありません 祈ることは瞑想ですか ええ そうです 一種の瞑想です ただその瞑想は 一方的な瞑想で 一方的に神に語ります 「神よ これもあれも お願いします」と しかし 神の話には 耳を傾けません だから一方的なのです 瞑想とは 双方が 意思疎通する過程です 私達が自分の苦痛と 悲しみと 幸せ 感謝の意を 神に捧げると 神は私達に今度は何を すべきかを教えます

または 神と繋がり 神と意思疎通を 図ります 祈りは一人で 語るばかりです 神の言葉には 全く耳を傾けません 瞑想では私達は聴き 分り 神が導きます 神は私達の内面で 数千個の太陽で 生命を照らします 神は私達を内面から 輝かせ愛と知性に満ち ユーモアにあふれ 美しくしてくれます

これが違いです
運命は定めなのですか そうですが 違います 運命には 二種類あります 一つは倉庫の中で 待機中のものと 一つはすでに記録設定 された今生のものです だからあなたは その家庭に生まれ そしてあなたの やり方で仕事をして あなたのやり方で 苦しみと喜びを 経験するのです そうだとしても 運命は変えられます いったん高いレベルの 境界に入ると 私達は人生における 間違った所を見下ろす ことができます すると違った部分を修正し 人生を より良く改善できます ですから 瞑想する人は幸せで 生活も順調です 頭脳も明晰で 全てが自然に よくなります 「先ず 神の王国を 見つけよ そうすれば すべての事が汝に もたらされる」とは こういう意味です 人を愛する方法を 教えて頂けますか 教えられませんが

自分で愛の海に 入ることで学べます 自分が誰なのかを 思い出し それに戻り 毎日そこに浸って 天国の恵みに包まれ 神の愛と 天なる父の愛を 感じ取れば 自然に 愛するようになります 数千年かけて教えても 身につけられません というのは あなたは愛の化身で 自身が愛なのです 誰も教えられません あなたがただ目覚め 思い起こし 自分が 歩むべき道を歩み 愛の存在として 神の代表として歩めば 愛が分かります ある人が 前世で 悪い事をした場合 今生で どう解脱しますか 解脱後どこに行き どれほどかかりますか あなたがすべき事は たった一つ それは 自分を知ることです 過去 いかに悪かった かは 関係ありません 何の関係もありません このホールが今まで どんな暗かったかに 関係なく 今夜電気をつけたら 全体が再び 明るくなりました ここが三百年も 暗かったとしても 関係ありません 開悟すると すべてが明白です なぜ神は隠れていて 彼を知り 探すのが 大変なのでしょう そんなことありません 神は出てきてあなたと 握手したいのです ただあなたが 神を探さないだけです 毎日 十分か二十分 三十分か一時間または 二時間静かにすると 神はすぐ現れます 神が存在する所を 見つめて この世界を 見つめないことです 瞑想とは しばらく この世界を離れる という意味です ヒマラヤに行く ことではありません 内面に向けて この世界を忘れ すべての悩みを しばらく忘れて 神を思っていれば 神は来ます はい 終りですか 素敵です(終わりです) 素晴らしいです ありがとうございます 皆様の愛と辛抱強さに 感謝します (感謝します) 皆さんは 素晴らしい聴衆です よろしければ果物を 持って行って下さい 長い時間座っていて きっとのども渇き 疲れたと思います 全て皆さんのものです

ありがとうございます 神のご加護を祈ります すでに祝福しています こんにちは ここで私と一緒に 座りますか どうぞ どこでもいいです 出家者のようですね どうぞここに来て お母様にケーキを 持って行きますか よかったらそこに 座って下さい 可愛い こうしてくれて 嬉しいです 皆で分けましょう (いいですね) これを分けて下さいね

これを吊るして 乾かしてください ある人はこれを お茶に入れて飲みます 私はお勧めしません この花が安全かどうか 分りませんので ありがとうございます ヘイ ベイビー ありがとうございます

ここにキャンディーが あります よろしかったらどうぞ ありがとうございます まあ素敵なこと ありがとうございます 壇上に上がらないのが 残念です ここも結構いいですよ

なぜ皆さんはこんなに 素敵なのですか 自分がなぜ素敵か 分かりますか 皆さんは私なのです そうです 私達は一つなので 親しく接することが できるのです ありがとうございます ええ 魂の本質とは 「私がここにいて ここに一つ魂がある」 ということではなく そうではありません 私の魂はこの体より 大きいのです ここの全てを含みます すべてが私です

違って見えるだけです 分ります 分ります 神は一つで 皆が神と一つだという 意味ではありません 意味ではありません そういう意味では ありません 一人の人間は 偉大な魂があって 何重もの いわゆる 体に包まれています だから私達はお互いに 認められるのです 時々 二人の人間が 同時に同じ事を 考えるのと同じです それは 魂が一つだからです それは神と一つ だからではなく 二人が 一つだからでもなく 彼らは一つの魂です 双子みたいに 魂の伴侶のような ものです 魂の伴侶は 一人だけでは ありません  沢山ありますし それが可能です なぜなら 偉大な魂の周りに 目的を達成するために 沢山の人がいるからで だから私達は兄弟や 姉妹のように感じ 一つのように感じます 時には 姉妹や兄弟 お母さんやお父さんと 一緒にいるのと 同じように気楽です それがあなただから 一つの魂が 家族を作っています 一つの魂がいくつかの 個体になっています 分りますか 分りませんか どう? 大丈夫です だから 私達は時々 「私はあの人と 縁がある」とか 「彼女は私の魂の伴侶」 などというのです それはあなたなのです 本当にあなたです つまりそれは ひとつの魂の中の 個人的な魂の集団です 意味が分かりますか それは別として 私達は神と一体で 皆が一体です 多くの個別の魂が 集まって 大きな 魂をなしていますが 皆違って見えます 分かりませんか まあ いいでしょう 分かったのですか ですから時々 ある人達と一緒に いるととても気楽です 彼らと一緒にいるほど もっと力強く感じます

私達は自分自身と 一緒にいるからです 一緒にいて一つに 繋ぎ合わせたのです

どうりで よく息が合うのです 皆さんは私であると 想像できますか

本当に愛しています (私達も愛しています)

時々皆さんに無性に 会いたくなります ある人 特に古い知り合いの 場合です

出家者の一人が 亡くなった場合です 私は彼女といつでも 会えると分っていても それは違うのです 意味が分りますか それは違うのです 降りて私のところに 来て下さいなどと 言えなくなりました それは彼女に迷惑です 私達二人とも 生きていれば いつでも会えます 意味が分りますか 時々とても いい人に出会うと 彼らと永遠に一緒に いたいと思うのです 例えば今のようにです 私は 皆の代表や 連絡係を 私の部屋に呼んで 食事を 振舞ったりします 彼らは一緒に食べます 私が食べ物を分け与え とても嬉しいです 家族のようで  とてもいい人のようで 私もいい人と一緒に いるのが大好きです 気分も最高で 生きる価値が あると感じ やってきた全ての事が 価値あるように感じて とても素晴らしいです 従って私は彼らに 離れて欲しくないし 私もこれらすべてから 離れたくありません 感傷的な気分になります 私達が一緒に いられなくなった時 または ある瞬間 皆さんもたぶん そう感じるでしょう 気持ちはよく分ります さもないと ほとんどの場合 私と皆さんとの間に 隔離された感じは ありません この世界は私を必要と しないと感じます 私は何回も皆さんに これを言いましたが 皆さんにとって 理解しにくいようです ある人は ずっと私に あなたが 真のマスターかどうか 分らないと言います 私は それはいい事で 分からない方が 私にとっては 懸命に仕事しなくて すむと言いました 構いません 私はただ皆さんや 人々に頼まれて やっているだけです

皆はどう分りますか あなたと私は同様な 顔で 中央に鼻があり 目が二つと耳が二つで 見分けられません 私は奇跡も 起こしません 私は皆を引き付ける ような事は何もせず ただ喫茶店で飲み物を 飲んでいるだけです 皆さんが頼めば 時々ここに来て 話します

少なくとも一緒にいて 互いに居眠りする ことを励ました方が 一人座ってうとうと するよりましでしょう それは寂しいです 子供が多いほど 以前より懸命に働き もっと多くの お金を稼ぎます ある人はいい仕事が あってたとえ前と同じ お金を持っていても 資産管理の仕方が よりよく分かるので 前よりもっと多くの お金を所持します 同じお金を もらいながら前よりも よく旅行します

物事のやり方が よりよく分るからです 従って 幸せなのです 以前と同じ お金を持っていても 前よりもっと残ります 私は雑誌で ある記事を読みました 「いかに億万長者に なるか」です 聞きたいですか

大変論理的です 私達は沢山のお金を 寄付します 私達に とっては大きいです 実際 それも多いです 数百万ドルは この世界では 少なくない金額です ビル ゲイツには 及びませんが 私達には異なる 「ゲイツ」があり 私達にも「門」があり 観音法門といいます 観音法門とは 「天国に入る門」の事で 「神の世界に 通じる門」のことです とにかく 私達にも「門」があり 私達は力の限り お金を寄付します 人は私達が沢山持って いると思っています 沢山持っている人や 世界銀行とは 比べものに なりませんが 収入に 比べると多いです 普通の人のやり方に 比べると多いです 殆どの人はしませんが 私はそうします そこで多くの人は 私がお金持ちだと思い 私もそう思いますが 人が思っているほど 金持ちではありません 金持ちもいいでしょう 彼らが私達と 同じぐらい 仮に 彼らが私と同じぐらい 持っているとしても 金持ちにみえません 彼らはそんなに 沢山は寄付しません 彼らは寄付するのが 嫌なわけではなく 管理の仕方が 分らないのです 管理の仕方が 分かってこそ お金を活かせるのです 私がその記事を 読んだ時 素敵だと思いました

私はすでに 億万長者になる方法を 実践しているのです  私は知っていました

これは生まれつきです ある人は生まれつき これを持っています それに私達は 開悟していて 開悟と愛の道を 修行しているからです 私達はこの世界の物を あまり必要としません 皆さんの 生き方と同じです 以前私達は 沢山持っていましたが 満足しませんでした 今はいくら持って いるかに かかわらず それを管理できます そして 休暇さえ もらえれば ニュージーランドや タイや世界のどこでも リトリートに行けます いつでも対応できます 本当に不思議です いつも満足し 愛を感じます 私は一人ですが 皆は私が自分だけを 愛するように感じます 私には十分な愛があり 皆に十分に分けられる 愛があります これは私達が 愛の法門を修行して 満足する方法が 分かっているからです 金持ちになる道は 節約であると分かって いるのと同じです 沢山稼いでも 沢山貯蓄できる訳では ありません 節約することです 不必要な物を 欲しがらなければ そうすれば お金を節約できます 一ドル節約すると 一ドル 稼いだことになります

一ドル稼ぐより はるかに良い事です 一ドル節約すると それを稼ぐために 外に働きに 出なくてもすむのです 不要なものを 切り捨てるだけです 以前は出かけて何でも  買いましたが 今は 慎重に考えるべきです 以前は出かけて 何でも買いましたが  今はただまっすぐに 豆腐だけを買います お金を 時間を節約 物事を節約します 以前 私達は何でも 料理しましたが 今は 豆腐と白菜だけ そして明日も同じで 白菜と豆腐です ええ簡単 質素な生活 以前 あなたは どこにでも行きました たぶん自分とご主人の ために ホテルを 予約しなければならず お金もかかりました 今は  テントでキャンプ するだけ 涼しく 新鮮な空気で自然です 木の下で 草の上で キャンプする時 周りは沢山の酸素で 気持ちがよく気楽です 経済的にも良いです 私達は一緒に生活して とても幸福です 大きなホテルに泊って 幸福でいる必要がなく 実際は 私達は共通の理想や 興味を持つので  大きなホテルに いる時より幸福です 私達はお互いに愛して ただより良く感じます 自然な空気や食物 健康は 私達をとても いい気分にさせます 分かりますか 皆さんはお金を あまり稼ぎませんが それほど多くのお金を 得る必要はありません 生活方法を知るだけ 皆さんには一つの人生 この人生しかないです 私が真実を言うか どうか 皆さんが 天国を得るかどうか 皆さんが生れ変わるか どうか関係なく この 人生は皆が知ってます

皆さんがよく管理せず 自由に生きないなら 幸せに感じられません 自分が望むこと  自分にとって良い事を しなければなりません もちろん 皆さんは したいことは何でも できると言うでしょう 本当ではありません 皆さんにとって 良いことはすべきです 菜食は健康的です そうでしょう 瞑想は 神経を 穏やかにし  より明るく 賢明で 愛深くさせます それは役に立ちます 何でもしたいことを する訳ではありません もちろん したい ことは何でもできます でも私達に良いこと それは 賢い人がすることです お金を貯めるのは お金を儲けるより良く 貯めたものは 稼いだのと同じです 働きに出て それに対する税金を 払う必要もありません 分かりますか 稼いだものは 自分のもので また したいことができます 自分や 貧しい人に 好きなものを 与えられます それがすべきことです いつもそうします 私もそうします 言ったことはします そうするのは必ずしも 雑誌に載せるために 訳ではありません 私がすることの 大部分は雑誌に 書かれていません ある人々が 偶然そこにいて  それを知ったために 報告したり あるいは公式の場合 コンサートなどでは 皆が知ることに なるわけです

そういうことです そうでなくて 私は毎日 毎回 毎度 それをするので 私のスタッフの一人は 私を笑って言います 「マスター  ここの食事は 何で高いのですか 私は今まで見た中で 一番高い レストランですよ」 理由が分りますか 私達がそこに入った時 何人かの ホームレスの人が そこでゴミを探して いるのを見て それで 私が500ドルほど あげたからです それで彼が「なんと ただフライドポテトと 2杯のコーラで 500ドルだ」 と言うわけです それで 彼はいつも その冗談を言いました 「分かりました 今度 あなたが私を 連れて行きたい時  一番高いレストランが どこか分かる」と たいてい私達は  ホームレスの人が そこらを歩き回ったり ゴミの中を 探すのを見ます  私はそれが堪えられず だからあげるのです あるものをあげます それで彼は冗談にして こう言います「なんで 私達はたった2個の フライドポテトと 2杯のコーラで  セルフサービスで 並んだりもするのに  ほんとうに高い」と 私達がこうするのは 他の人々を 愛しているからです いずれにせよ  彼らは私達だからです 従って これについて 誇ることはありません

しかし 時には もちろん 他の弟子が手本から 学ぶ必要があるので 私達は時々 雑誌にそれを書きます また私がすることの 大部分も公開するので 人々は知ることができ それで私達は自分が することが分かります 皆さんがすることを 私に言うのと同じで 雑誌は私がすることを 皆さんに報告します 従って このように 私達は連絡をとって お互いの生き方が 分かるのです 他の人々に分るように 誇るためではなく お互いに知るためです 他の皆に知れるように 誇るなら  ロイターに言ったり 大ニュースにしないと 小さな雑誌記事に 書くだけではなく でも これは私達が 常にそうする生き方で それは生き方で あるべきで  皆がそれをすべきです そして私は 皆さんが 常にそうすることを 誇りに思います 私は知っています それぞれがしていると でも皆さんは ここに来るくらいの 余分のお金があります あるいはリトリートや 可能な時にいつも 私に会いに来るための そうでしょう

生活は豊かに なりましたか (はい)そうです 私は全ての時間を与え それでもまだ沢山あり つまり私には沢山です 何が必要でしょう 皆に会いに行くには 当然これを着ます 自分のデザインで 楽しみのためです 皆さんと一緒でないと 放り投げてしまいます 重いので あまり 好きではないのです そして私は一日に 一食か二食ほどです 何でも 残りものや 新しい物も何でもです 新しければ食べ 残り物でも食べます 何を必要とできますか だから私はまだお金を 多く持っているのです なぜなら 多く 使わないからで 多く 稼ぐ訳ではないのです ほら 皆さんと同じ 今まで通りに稼ぎ 以前より子供が 多いかもしれませんが それでも まだ お金が沢山あって 生活が以前より 豊かだと感じています そうですね より満足している より満ち足りていると そう それが秘訣です 大勢の大金持ちの 秘訣なのです 誰も知りません 皆百万長者になるのは 難しいと考えますが 違います 特に 既に大金持ちの人々は その方法でそれを 維持します なぜなら とても自然だからです 彼らは倹約し 高価な新車も 運転しません 彼らは中古車を 買うので 奢侈税を払う必要も ありません  例えばです ただ 普通車を運転します ほとんどの大金持ちは 高級車を 運転しません 乗るのは手頃で 安全で安い車 より安全な車です 彼らはあまり 私達が 長者とはこうだと思う ようなことはしません さもないと 財産は たとえ長者でも たちまち消えるのです それで沢山節約します 彼らは節約する方法を 探します 例えば 燃費のよい車に 乗ったり 近隣の 余裕を持って 買える家に 住んでいたりします

自分達の貯蓄を 崩さないようにです 多くの方法があり あれこれと節約します

そして彼らのお金は いつも安定しています そしてある人々は 多くは稼がないのに 沢山使います 速い車など 本当に沢山持ってます 沢山のクレジット 沢山の負債と 抵当です 普通車に乗る 大金持ちの人々は 自分の生活の 組み立て方を 知っているので 負債がないのです 多くの大金持ちの人が 隣に住んでいても 分らないのは 誇示しないからです そう 彼らは自分の することを知っていて お金の価値を 知っているのです 彼らはいつもそれを 費やすわけではなく 彼らは本当に節約が 自然なのです それで 裕福になっていきます 彼らは当然に豊かです 自然にお金の使い方を 知っているのです 自分のお金の 管理方法を知っていて 稼ぎのすべてを 使う訳ではありません それで幾らかを 投資に使えるのです そしてたちまち 金持ちになるのです 例えば今日 一万ドルを投資すると 十年後には 五万ドルになります

ある銀行に投資して それは遅いです 例えばですが でも一方で 彼らは危険を冒し 自身の仕事をします それで彼らは早く 金持ちになるのです ですがより危険です しかしそれが人生です 冒険をするか または ただ普通の人生を ゆっくり送ろうが ただ日々の十分な お金を稼ぎます それでも良く管理 できるなら大丈夫です まさに生活は今 より簡素です そう 豆腐は 牛肉よりも安いですね ちょっと違うだけです 一片の肉を 豆腐一丁に 換えるだけです 健康的な食事で いいですよ

皆さん この女性 司会者を見て下さい とても美しいです 彼女は菜食者です 写真を撮るために 何度も頼みました でも皆さんも 美しいですよ 誇りに思います 皆さんは自分を 誇りに思ってください 出かけて言って下さい 「私はベジタリアンよ 私を見て」 いいですか よかった とてもきれいです

いったん内面が 美しくなれば 外観も美しく見えます それが普通です そうです

しかし修行を 続けて下さい 皆さんの生活は より良くなります 言う必要はないですが まだ知らない人の ために言うのです 彼らは皆さんを見て 確かめられます 皆さんの生活は 愛と霊性の加護の 見本です 誰にも説教する 必要はありません 皆さんの生活方式 皆さんが世界に 表わす態度を 見ただけで それは 霊性について語る 千の本より良いのです 皆さんは本です 最高の見本で かつてなかった 最高の教理 最高の宗教理論です ひとつ物語があります メキシコに マスターがいました ずっと昔のことです とても有名でした

ケツァルコアトルです 彼はメキシコ人です 彼は弟子に こんな 物語を話しました 同じグループに 二人の男性がいました 一人は とても敬虔で とても 敬虔に見えました 彼は毎日曜 教会に 行きました どんな神聖な活動にも 一番に赴き 最後に離れました 彼は教会に行く どんなチャンスをも 逃しませんでしたが その他には 何もしませんでした そして一人は 教会に行かないが 毎日仕事に行き 義務を果しました 義務を果しました そしてその所得で そしてその所得で 家族の面倒を見て また貧しい人々にも 施しをしました そして教会にも 修繕のために 寄付しました ケツァルコアトルは 言いました 教会に 行ったことのない人は 神聖で彼自身がすでに 教会であると 毎日教会に行った人は ただ行っただけです 誰もが よく教会に行く人を 尊敬し とても神聖だと思い 教会に行ったことの ない人を 見下げたからです でも実際は  彼は出かけて行って 回りのすべての教会を 世話し できることは 何でもしました そして時々余分の金で 布施できるよう 少し余分に 働きました それが 彼が毎日したことです それでマスターは 教会に行く 最初の人は結構だが 二番目の人は 自身が教会である」と そうです ですから私達が 教会通いをする人か  自身が教会であるかは 自分次第です 皆さんは教会だと 私は思います どんな教会も建てる 必要はありません 人々は聞きます 「なぜあなたには どんな教会も寺院も ないのか」と 私は言います「必要が ない 私には何百万も あって 走り回ってる」 私は言いました 「すでに現代ですよ

速いテクノロジー すべては移動式です 携帯電話 トレーラーハウス キャンピングカー 移動寺院・・・」 皆さんは 私の移動寺院です いつでも連絡でき どこにでも行けて とても融通がききます レンガは一つの場所に 固定されるだけですが 私達は走り回る 走り回る寺院です とても素敵です 何か考えてましたが 忘れました ただ同じと思います でも忘れてしまった 時々それはとても速く 来ます マスターから 神からの霊感は とても速く来ます 私の口では 十分速く話せません 私は一日ごとすでに より速く話しています 十年か十五年前 私はこのように 話しませんでした 皆さんのように話した 「ハロー マスター お元気ですか お会いできて嬉しい」 ほらね 今はこうです ハロー 元気ですか 大丈夫? いいですね よかった よかった 私は速く話します 私には時間がなく 電話でもそのように 話します するべき 仕事がとても多いので 皆さんと話す時 とても速く 話すことがあるので 録音が必要なのです それを聞き直せます 「以前 彼女は 何と言ったか」 とね 言うのは誰にでもでき ますが 実行するのは もっと難しいです 皆さんは何でもでき 言うのも実行するのも できます それが皆さんの 偉大なところです 私は言いました 皆を偉大にしに来たと 私が偉大かどうかは 重要ではありません 私は一人だけですから 偉大なマスター 偉大な先生は自分を 偉大にするのではなく 誰をも 偉大にするのです そうです 学生がよければ先生が 良いことを意味します さもなければそれは 無駄で役に立ちません それで私が偉大か どうかにかかわらず 皆さんが偉大であれば それで良いのです そして皆さんの恩恵 偉大さによって 私も偉大になるなら 皆さんに感謝します 私はそれも好きです しかし 正直言って 全世界が悟りを得たら 私はただの一般市民に なれて幸せでしょう


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